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日報問題は何が問題なのかわかりやすく説明してみた!処分する理由やタイミングとは?

政治的な話題で今まさに安倍政権最大のピンチとされるファクター(要因)は「森友・加計学園問題」だと思われた。

しかしここに来て「自衛隊のイラク派遣及び南スーダンPKOにおける日報問題」もプラスされましたね。

このうちのいわゆる「自衛隊の日報問題」に焦点を当てながらその問題とそれにまつわる影響などについてかいつまんでわかりやすくまとめてみました。

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自衛隊のイラク派遣について何が問題?

溯ること2003年12月~2009年9月、当時小泉政権下で自衛隊がイラクに派遣されましたね、その時の大義名分は「人道復興支援」と「安全確保支援」でした。

そもそもイラク派遣に至った経緯にはそこが「非戦闘地域である」ということが絶対的な条件であったからなんですね。

(「自衛隊が活動するところが非戦闘地域なんです」とは当時話題になりましたよね。)

これには「戦闘地域で自衛隊が活動することは日本の憲法第9条に違反している」といったことが前提になっていることは言うまでもありませんね。

問題は昨年の国会の場でイラク派遣日報の存在については「ない」とされ、当時の稲田防衛相が辞任にまで追い込まれた上に日報の存在についての野党の追及に対してもなお、防衛省が「見つからなかった」と回答していました。

にも拘わらず、ここにきて現在の小野寺防衛相が「見つかった」ってことで、当時(2004年1月~2006年9月)の435日約15,000項にも及ぶ日報が公表に至ったこととの矛盾ですかね。

更にはその日報の中に記されていた「国営地に迫撃砲が撃ち込まれた」や「戦闘」という具体的な記述があったことではないでしょうか?

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南スーダンPKO派遣について何が問題?

次に自衛隊の南スーダンPKO派遣における問題といえば、2012年の民主党政権下から始まり2017年の現安倍政権での撤退までの間が派遣期間にあたるわけです。

そもそもジャーナリストの布施裕二氏が2016年にPKO活動の日報の開示を防衛省に請求したことに端を発しています。

同年12月に防衛省が当時の稲田防衛相に当時の活動日報は「破棄した」と報告したんですね。

にもかかわらずその月内に実は電子データの存在を確認し、その後の日報には「戦闘」という言葉が多用されていたことが判明した云々…でしたよね。

この日報をちょっと掘り下げてみると、具体的には「南スーダンの戦闘が生起」つまりは「戦闘が起きている」とそこには記されていたわけです。

これまたイラク派遣時同様に「戦闘地域に自衛隊を派遣したのでは?」と普通は思ってしまいますよね?

この問題についてはやはり本人の著書が説得力ありですかね?

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戦闘という表現と日報の存在について

自衛隊が現場で作成する日報には当然なら現場でしか感じることのできない生の感覚みたいなものがあると思うのですが、その時に感じたことやまさに現場で起きていることにはそれなりの説得力があると思うんです。

(意外とはまる?自衛隊の日報)

話を元に戻すと、ここに「戦闘」や「砲撃が着弾した」なんかの表現があるとしたらそれはやはり現場の感覚で説得力がありますよね。

更には自衛隊という組織自体が派遣された地を「戦闘地域」であると自覚しているんじゃないでしょうか。

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この問題だれが処分されるの?その理由とは

結果としてこの問題では防衛省の事務次官や幕僚長、つまりは現場の責任者とその部下の自衛官が処分されることになりました。

それは政治家である大臣の処分に話が及ぶ前の絶妙なタイミング?といった見解もあります。

そもそも国会の場で日報の有無が議論された中での問題は、自衛隊が派遣された地域が戦闘の状況下であったか否かといういわゆる単語のやり取りがきっかけで、その答弁の口裏を合わせるかのように防衛相が発表を遅らせた(又は隠蔽しようとした?)って経過を考えるとその理由は当然の流れなのでしょうか?

これについても何かすっきりしないですよね。

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まとめ

今回の件で様々な問題が浮かび上がりましたね。

先ず国会の場では政府が自衛隊の組織に対してのシビリアンコントロール(文民統制)がとれていないのでは?

との野党側の質問が出るほどにその統率力への疑問が投げかけられていたわけです。

そもそもシビリアンコントロールとは政治家(文民)が自衛隊を監視し、自衛隊は必要な情報を文民に提供するといった原則、それに対しての不安ですね。

更には「ない」とされたものが「実はあった」といった矛盾への疑問で、ほんとは隠したかったのに出てきてしまったことへの処理方法?

と捉えられても仕方がないような。

やはり何でもかんでもがすっきりしないのが政治の世界?とは思いたくないのですが、大事なことは疑問を抱くことと、それについていろいろ考えていい結果を導くことじゃないでしょうか?

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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