政治的な話題で今まさに安倍政権最大のピンチとされるファクター(要因)は「森友・加計学園問題」だと思われた。
しかしここに来て「自衛隊のイラク派遣及び南スーダンPKOにおける日報問題」もプラスされましたね。
このうちのいわゆる「自衛隊の日報問題」に焦点を当てながらその問題とそれにまつわる影響などについてかいつまんでわかりやすくまとめてみました。
この記事は大体こんな感じ!
自衛隊のイラク派遣について何が問題?
溯ること2003年12月~2009年9月、当時小泉政権下で自衛隊がイラクに派遣されましたね、その時の大義名分は「人道復興支援」と「安全確保支援」でした。
そもそもイラク派遣に至った経緯にはそこが「非戦闘地域である」ということが絶対的な条件であったからなんですね。
時の首相、小泉純一郎は
「どこが戦闘地域でどこがそうでない地域かなど私に分かるわけがない。この法律に関して言えば、自衛隊がいられるところが非戦闘地域」と
いう答弁を行った(逆に考えれば自衛隊がいない・いられない地域は戦闘地域である)。
>>イラク特措法より https://t.co/XLEAtd5ygx
— ヘノヘノモヘジ (@gtitarrista) April 13, 2018
イラク日報に「戦闘」文言が複数箇所に記されていた https://t.co/YQCDYavNA4 防衛省が存在しないとしてきた自衛隊のイラク派遣の際の活動報告(日報)の中に、「戦闘」という文言が複数箇所記されていたことがわかった。
— 保坂展人 (@hosakanobuto) April 15, 2018
(「自衛隊が活動するところが非戦闘地域なんです」とは当時話題になりましたよね。)
これには「戦闘地域で自衛隊が活動することは日本の憲法第9条に違反している」といったことが前提になっていることは言うまでもありませんね。
問題は昨年の国会の場でイラク派遣日報の存在については「ない」とされ、当時の稲田防衛相が辞任にまで追い込まれた上に日報の存在についての野党の追及に対してもなお、防衛省が「見つからなかった」と回答していました。
にも拘わらず、ここにきて現在の小野寺防衛相が「見つかった」ってことで、当時(2004年1月~2006年9月)の435日約15,000項にも及ぶ日報が公表に至ったこととの矛盾ですかね。
更にはその日報の中に記されていた「国営地に迫撃砲が撃ち込まれた」や「戦闘」という具体的な記述があったことではないでしょうか?
防衛省が16日公表した、自衛隊のイラク派遣の際の活動報告(日報)435日分の全文書を朝日新聞デジタルに掲載しました。計約1万5千ページにのぼります。防衛省幹部によると、日報の複数の箇所で「戦闘」という文言が記されているといいます。 https://t.co/ko3EH9ltlc
— 朝日新聞デジタル編集部 (@asahicom) April 16, 2018
南スーダンPKO派遣について何が問題?
次に自衛隊の南スーダンPKO派遣における問題といえば、2012年の民主党政権下から始まり2017年の現安倍政権での撤退までの間が派遣期間にあたるわけです。
そもそもジャーナリストの布施裕二氏が2016年にPKO活動の日報の開示を防衛省に請求したことに端を発しています。
同年12月に防衛省が当時の稲田防衛相に当時の活動日報は「破棄した」と報告したんですね。
にもかかわらずその月内に実は電子データの存在を確認し、その後の日報には「戦闘」という言葉が多用されていたことが判明した云々…でしたよね。
この日報をちょっと掘り下げてみると、具体的には「南スーダンの戦闘が生起」つまりは「戦闘が起きている」とそこには記されていたわけです。
これまたイラク派遣時同様に「戦闘地域に自衛隊を派遣したのでは?」と普通は思ってしまいますよね?
この問題についてはやはり本人の著書が説得力ありですかね?
布施祐仁・三浦英之著「日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか」の重版が決定しました。日報を隠すことがなぜ問題なのか、シビリアンコントロールとは何か…と思われた方は是非お手にとってみてください。PKOの問題点、日本ができる国際貢献、ジャーナリズムの役割にも踏み込んだ必読の1冊です。 pic.twitter.com/9rlY4cUlML
— 集英社 学芸編集部 (@Shueishagakugei) April 12, 2018
戦闘という表現と日報の存在について
自衛隊が現場で作成する日報には当然なら現場でしか感じることのできない生の感覚みたいなものがあると思うのですが、その時に感じたことやまさに現場で起きていることにはそれなりの説得力があると思うんです。
自衛隊日報の記事あったから読んでたけどこれがツボにはまった pic.twitter.com/a96wNpmI7M
— シュド (@noeln315) April 17, 2018
(意外とはまる?自衛隊の日報)
話を元に戻すと、ここに「戦闘」や「砲撃が着弾した」なんかの表現があるとしたらそれはやはり現場の感覚で説得力がありますよね。
更には自衛隊という組織自体が派遣された地を「戦闘地域」であると自覚しているんじゃないでしょうか。
この問題だれが処分されるの?その理由とは
結果としてこの問題では防衛省の事務次官や幕僚長、つまりは現場の責任者とその部下の自衛官が処分されることになりました。
それは政治家である大臣の処分に話が及ぶ前の絶妙なタイミング?といった見解もあります。
そもそも国会の場で日報の有無が議論された中での問題は、自衛隊が派遣された地域が戦闘の状況下であったか否かといういわゆる単語のやり取りがきっかけで、その答弁の口裏を合わせるかのように防衛相が発表を遅らせた(又は隠蔽しようとした?)って経過を考えるとその理由は当然の流れなのでしょうか?
これについても何かすっきりしないですよね。
自衛隊日報問題、あれはだいぶ陰謀論臭いでしょう。でも関係者が処分される、あるいはされない。そうなると結局キコマコ的な「陰謀理論はいけませんね」的な物言いだけが、虚しく残る。
— いかづら菩薩 (@ikazuravosatz) April 3, 2017
まとめ
今回の件で様々な問題が浮かび上がりましたね。
先ず国会の場では政府が自衛隊の組織に対してのシビリアンコントロール(文民統制)がとれていないのでは?
との野党側の質問が出るほどにその統率力への疑問が投げかけられていたわけです。
そもそもシビリアンコントロールとは政治家(文民)が自衛隊を監視し、自衛隊は必要な情報を文民に提供するといった原則、それに対しての不安ですね。
シビリアンコントロールだけでない自衛隊日報問題の根深さ──問われる「安全神話」
隠蔽も問題だが、「誰のために」「何を」隠蔽しようとしていたか、はもっと問題だ。https://t.co/xHaayiGjth#日報問題 #自衛隊 #稲田朋美 #防衛省 pic.twitter.com/ifUUfnt3cZ— ニューズウィーク日本版 (@Newsweek_JAPAN) April 16, 2018
更には「ない」とされたものが「実はあった」といった矛盾への疑問で、ほんとは隠したかったのに出てきてしまったことへの処理方法?
と捉えられても仕方がないような。
やはり何でもかんでもがすっきりしないのが政治の世界?とは思いたくないのですが、大事なことは疑問を抱くことと、それについていろいろ考えていい結果を導くことじゃないでしょうか?
最後まで読んでいただきありがとうございます。
コメントを残す